2007年11月15日木曜日

科学と教養。

前回のミーティングで、「どうすれば、一般人に(数学を筆頭とした)基礎科学の重要性を説得できるのか」といった議論になりました。それに関して、昨日帰りの電車の中でとある人と話していたのですが(*彼が個人的な会話の内容にどこまで責任を持っているか分からないからとりあえず伏せておきます)、「それは人を殺してはいけないのはなぜというのと同等の議論で、理由なんてないけどダメなものはダメという次元の話なんじゃないか」と言われました。更に、教養の大切さも同様だと言われました。

ちょっと考えてみました。

「理由はないけど大切」ってどうよ?ということです。私は、一般的に教養の大切さを説く人があまり好きではありません。というのは、「これを知らないなんて、けしからん」「知っているべきだ」と、本来ならば個人の自由であるはずの知識に、善悪判断が入り込む人が多いからです。私が単に”なってないイマドキの若者”なだけなのかもしれないけど、そういうのはちょっと押しつけがましく感じてしまうのです。

科学でも、「私たちはおもしろい・大切だと思うからやってるし、そのおもしろさを分かってもらいたい」というのは自然。ただ、おもしろさが分からない人に対して、頭ごなしに「大切なんだから支持しろ」というのは押しつけがましいのでは、と思います。おもしろさを分かってもらえるように、熱く語るなり最大限の努力をして、ひくときは潔くひくぐらいがきれいかな。ただし、これは一般論なので、行政とか(ウワサの市長さんとか)、「この人をゼッタイ説得したい!」というときにはどうしたらいいんでしょうか。。。


ふぅ、ちょっと考えても特に進展した気がしないな...。



ちなみに、前述の彼は、自分が本当におもしろいと思っていることをオススメしてくれている様子なので、私もちょっと教養を身につけたいな、と思い始めた今日この頃です。

ということで、みなさんぜひ私を教育して下さい(笑)

9 件のコメント:

イチロー さんのコメント...

もはや耳にたこができまくったと思うけど,
数学は科学ではないから,
基礎科学の筆頭でもないよ!

ところで,
サ○キはおれにもまったく同じことを言っていた.
たぶん名前を出してもいいはず(笑).

あと,
いつも感じてるんだけど,
「わたしたちはおもしろい」っていうのは
傲慢な物言いだと思う.
「わたしはおもしろい」ならよい.

ところで,
数学や科学を大切に思ってもらう方法として
参考になるとひそかにこっそり思ってるのは,
神学だ.
これには二千年間蓄積された説得のノウハウが詰まってる.

ましゅ さんのコメント...

マ*オくん,コメントありがとう(笑)
えーと,僕は押し付けようとは思っていないですよ.「論理的な答えなんて,そもそもない」んじゃないか,ってことが言いたかっただけ.

まあ,「役に立たない?基礎科学をやる意味は,スポーツや音楽,絵画が存在する意味と同じ」と言った方が良かったかな.サッカーが楽しい理由を論理的に説明なんてできないけれど(実際興味ない人はいるし),しかし楽しいと思う人が多いのは確かだし,これからも多くのファンに支えられて生き続けるんでしょう.

科学もスポーツや芸術のようになるべきなんだろうか? 違うんだろうか?と考えて夜が更けます.

suikyo さんのコメント...

私も、「わたしはおもしろい」の方が好きです。

ところで、こうした議論って、自分の子供に何をどう伝えるかに似ているなぁ、と思っています。
私はどうしても、特に、きちんと話そうとする時は、「これが絶対に正しいとはいえないけど、私はこれこれこういう理由でこう思っている。あなたがどう思うかは自由だけど、いろんな情報を総合して、自分で考えて欲しい」みたいに言ってしまう(3歳の子に)。
子供には親が善悪をきちんと教育すべき、という意見もあると思いますが・・・

まぁ、感情的に怒ってしまうことも多々ありますけど(苦笑)。

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さんのコメント...

神学かぁ!ちなみに、最近新聞で仏教のコラムを読んでいても、科学とちょっと通ずるところがあるなと思ってました。あれは書き手がそれを意図して書いているから、そう思うのかも知れないけど...。

「わたしたち」「わたし」に関しては、意識せずに使っていました。そう言われれば、その通りだと思います。

教育について。私は、やっぱり可能な限り押しつけないでいくのが好きです。suikyoさん、応援してます♪私が好きな高校の数学の先生は、「授業を聞く聞かないは本人の自由。でも、おしゃべりをしたりして、他の人の聞く権利を奪うのは許さない。私は、一人でも聞きたい人がいれば授業をする」と言っていました。ちょっとステキ。

そして、99%のものは押しつけないんだけど、たった1%を押しつけたら(うちの母親の場合、ウソをつくのはとにかくダメ!)すごく効果的なんじゃないかなぁ〜、と思っています。

さんのコメント...

ちなみに、本文に一部不適切な表現があるというように、自他共に判断致しましたので、先程手を加えました。

hiramats.m さんのコメント...

基礎科学というとよくご指名をいただく天文学の立場からもコメントを少し。

僕がやってるいろんな活動では、基本的には「天文学って面白いでしょ」をたくさんの人と共有して、それこそスポーツや音楽や絵画と同じように文化の一部として受け止めてもらえるようにしたい、というのが大きな目標になっています。趣味のひとつとして天文学あるいは科学を挙げてくれる人が増えたらいいな、と。

ただ、天文学とスポーツや音楽との一番の違いは、それが公金でなされている、ということです。これを認めてもらうには少なくとも国民の過半数くらいはその使い道に納得してもらわないといけない。それには「楽しいでしょ」と言うだけでは限界があると思うのです。じゃあどうするのか、というのは難しい問題ですが。

「科学を進めることは人類の進歩に貢献する重要なミッションである」というちょっと青臭い言葉をたくさんの人が押し付けではなく納得してくれるにはどうしたらいいんだろうなあ、というのが最近よく考えることです。

イチロー さんのコメント...

いつの時代も人々が求めるのは
科学ではなく魔術なんではないか,
と思った.
科学はどう役に立つのさ,って問は,
錬金術や占星術を求めた人々の声に
似ているのではなかろうか.

錬金術から化学が生まれ,
占星術から天文学が生まれた,
そういうことも思い出した.

これらは魔術の否定なのか成就なのか,
そういうことも考えた.

イチロー さんのコメント...
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