2008年2月15日金曜日

目指せ、聞き上手-!

インタビュアーに初挑戦しました!0to1に入ってから、やってみたかったことを色々とつまみ食いできて、嬉しい限りです。

私は、中高生の頃ラジオの英語講座や英語ニュースが好きで、いつか向こう側の人間になってみたいな、と思っていました。それで今回、0to1でポッドキャストによる研究紹介の企画を立て、ついに作り手に回れることになりました。

しかし、そんな私の前には大きな壁が...。何を隠そう、私は喋らないのがニガテなのです。最初に録音したものを聴くと、相手が話している途中から「もう分かったよ」って感じの相づちを打ってしまっていたり、相手のセリフをとってしまっていたり。「これはまずい!」と、そこから軌道修正しました。

喋らない代わりに、ストーリーを作るのがインタビュアーの仕事です。まさに黒幕ですな。「一体どうしたいの?」と相手に訊かれて、一瞬たじたじになる場面もありましたけれど、なんとか立て直して自分の作りたかったものができたと思います。インタビューは、出演者とインタビュアーが、役割分担して一緒に作り上げる作品なんですね。うーん、でも次はもっとうまくやりたい。

この経験を生かして、日常生活でももうちょっと聞き上手になりたいものです。

2008年2月10日日曜日

サステナビリティ...?

随分と間が空いてしまいました。私の怠慢が主要因ですが、定期的な全体ミーティングが、実質的には行われなくなっているというのも一因です。0to1の運営体制は劇的に変化していて、私はどこが安定解なのか未だ見極められずにいます。

結成当初、サイエンスアゴラという一つの目的に向かって全員が突っ走っていた状況では、プロジェクトミーティング=全体ミーティングでした。現在は、数人規模のプロジェクトが平行して走っており、個別のミーティングやオンラインでの議論が進行しています。活動ペースも、アゴラ前は寝る間を惜しんで議論や作業をしていたものですが、いまはだいぶのんびりになりました。メンバーにしても、一点集中時には新たな人が入りづらいけれど、今ならかなり敷居が低いのではないでしょうか。

アゴラ前後の生活をもう一度できる自信はないけれど、あの頃は「何かを生み出す力」がみなぎっていたと思います。

緩・急どちらかだけじゃ持続可能じゃないと感じているので、緩急つけて続けていくのが安定解かな。

2007年12月29日土曜日

としわすれ

 昨夜は0to1忘年会でした!楽しく喋って食べて飲んで、飲み過ぎて、帰りの電車で寝過ごして。。。まぁ、楽しいのはいいんですけれど。私の指導教員の定義によれば、「忘年会とは、今年一年の忘れたいことは忘れて、楽しかったことは忘れないで、忘れたいけれど必要なことは覚えておく会」らしいです。この趣旨を踏まえて、忘年会に関して「必要なこと」、つまり反省をしてみたいと思います。

 今回は、ミーティングへの登場回数が少ないメンバーや新規メンバーに広く参加を呼びかけた会でしたので、お互いによく知らない人同士が交流することを目的の一部としていました。それはもちろん果たされたとは思いますけれど、元々知り合いだった人・分野の近い人同士に会話の輪が留まっていた向きもありました。もっと活発に交流できたら良かったなぁ〜と、自戒を込めて思っています。

 「異分野の院生同士が交流する」ということは結構難しいことだと、常日頃から私自身は思っています。よほどの積極性と対人能力がある人はいざ知らず、普通の人は、単に一堂に会しただけではなかなか交流できません。交流のためには、共通の目的意識に基づいた共同作業(BBQとかアゴラの議論とか展示制作とか)が有効なのでは、と思うのです。そうした活動を通して、メンバーの人間性やら価値観やら指向やら能力やらが垣間見え、いつの間にやら人間的なつながりができます。

 もっと言うと、異分野の勉強会も、この人間的なつながりがあればこそなのでは、と私なんぞは思ってしまいます。ここで、忘年会名幹事ぶりに敬意を表して、松尾さんの例を挙げさせて頂きましょう。たとえば生物の院生である私が、数学の院生の研究の話をわざわざ聞きに行くだけのモチベーションは、普通だったらありません。でも、我らが幹事の「松尾さんの」話であれば、聞きたいです。そこでは、「この人のことをもっと知りたい」というモチベーションが結構大きいかな、と私は思うのです。学術的好奇心旺盛なみなさんは違うのかもしれません。


 一回の飲み会の反省をしているハズが、より長期的な話にすり替わっていますけれど、まぁ一夜の懇親会であってもBBQのときのように作業の過程が入ればもっと活発に交流できるかな、ということが言いたいだけです。

 なにはさておき、一番の反省点は、佐々木代表がいなかったこと!代表不在では、なにもはじまりませんよ〜。みなさん、飲み会前は体調管理を特に気をつけて下さいね。

 2007年最後まで、とっても私見に偏ったブログですみません。笑って許して下さい。
 2008年も、楽しくて充実した活動ができますように。

 どうぞ良いお年をお迎え下さい!

2007年12月11日火曜日

先生と呼ばれた日。

先週、小学校で出張授業をしてきました。全6回のシリーズをリレー形式で行っていて、私はその第2回を担当させて頂きました。内容は、生命と地球についての夢とロマン溢れる壮大なストーリーです(笑)。0to1企画ではないのですが、0to1を通して紹介して頂いたので、この場を借りて簡単にご報告まで(しばらくブログを書かないと忘れられちゃうのではとの危惧もアリ...)。

「出張授業は自己満足で終わってはダメだ、受け入れ先の学校の先生とよく相談しないと」とは、このまえアゴラで知り合った方に頂いたアドバイス。これは、実にその通りだと思います。出張授業とは、教師でもない一介の学生が、わざわざ縁もゆかりもない学校に出向いて授業をするという企画です。わざわざやるからには、それを通して「やりたいこと」があります。もちろん受け入れ側にも、基本的な教育理念や、受け入れ理由があります。それが完全に一致する訳ではない、というのが現実でしょう(むしろ完全一致ならわざわざ外の人を招く必要がないような気がしてきたぞ)。その中で実りある活動を行うためには、両者の折り合いをつけるという作業が必要です。そして、もっと根本的な部分では、理想(伝えたい内容・メッセージ)と現実(時間的制約、生徒の能力・意欲)の折り合いをつけることが不可欠です。

さて、私の場合どうだったかと言いますと、折り合いをつけるための調整は、本当にギリギリまで終わりませんでした。前夜は、授業構成を考えるあまり熟睡できず(小心者なんです。。。)、朝早く起きて展開を考えました。その甲斐あって、自分も満足でき、校長先生にもまぁ褒めて頂き、生徒も見る限り楽しそうに積極的に授業に参加してもらえたように思います。

「折り合い」さえつけられれば、「妥協」は必要ありません。今回の出張授業を一緒に企画・運営した方に、「もさんのカラーが出ていてとても楽しかったです。(授業進行の)テンポ(の良さ)と妥協のなさがすごい!」と評して頂きましたが、それは「折り合い」がうまくつけられたということでしょう。

妥協するのが大人なら、私は大人になんてなりたくない。でも、折り合いをつける作業を通して、私はちょっと大人に近づいた気がしました。

2007年11月25日日曜日

この100日間

メールボックスを見返してみると、横山さんから0to1の発足を伝えるメールを頂いたのが8月9日、佐々木さんから初めてメールを頂いたのが8月17日でした。
それからの約100日間、実に「セイシュン」した日々でした。

この100日間で、ブラインドタッチができるようになりました。
この100日間で、mixiを始め、ブログを書き、議事録を書き、文章を褒めて頂きました。
この100日間で、アキバという異世界を垣間見ました。
この100日間で、子供を持つという自分の将来を、前向きに想像するようになりました。
この100日間で、自分ひとりではできないことを、みんなでやる楽しさを味わいました。
この100日間で、自己主張がうまくなりました。
この100日間で、「爽快な敗北感」が「くだらない優越感」よりもいいものだと気づきました。
この100日間で、集団の自浄作用に感動し、集団を・他人を信頼できるようになりました。
この100日間で、大好きな人がたくさんできました(「人間的に」ということです)。

この100日間で、自分のことが前よりもちょっと好きになりました。

特に後半は、研究を全く圧迫していないとは言えない日々でした。これは、持続可能なペースではありません。今後は活動の内容云々以前に、分量を十分に考慮する必要があると強く思っています。

アゴラで展示とWSの両方を手がけたこと、マンパワーと準備期間を鑑みると無謀だったかもしれませんが、0to1の「二つの活動」(研究者社会について当事者として考える、科学を非専門家と双方向的に楽しむ)を象徴するという大事な意義がありました。みんなめいっぱい無理したけど(特に両リーダーの献身的な働きぶりには頭が下がりますm(_ _)m)、間違いなくがんばった甲斐がありました。

これからお台場に行って、イベントのつづきを見届けたいと思います。
みなさま、おつかれさまでした。

2007年11月15日木曜日

科学と教養。

前回のミーティングで、「どうすれば、一般人に(数学を筆頭とした)基礎科学の重要性を説得できるのか」といった議論になりました。それに関して、昨日帰りの電車の中でとある人と話していたのですが(*彼が個人的な会話の内容にどこまで責任を持っているか分からないからとりあえず伏せておきます)、「それは人を殺してはいけないのはなぜというのと同等の議論で、理由なんてないけどダメなものはダメという次元の話なんじゃないか」と言われました。更に、教養の大切さも同様だと言われました。

ちょっと考えてみました。

「理由はないけど大切」ってどうよ?ということです。私は、一般的に教養の大切さを説く人があまり好きではありません。というのは、「これを知らないなんて、けしからん」「知っているべきだ」と、本来ならば個人の自由であるはずの知識に、善悪判断が入り込む人が多いからです。私が単に”なってないイマドキの若者”なだけなのかもしれないけど、そういうのはちょっと押しつけがましく感じてしまうのです。

科学でも、「私たちはおもしろい・大切だと思うからやってるし、そのおもしろさを分かってもらいたい」というのは自然。ただ、おもしろさが分からない人に対して、頭ごなしに「大切なんだから支持しろ」というのは押しつけがましいのでは、と思います。おもしろさを分かってもらえるように、熱く語るなり最大限の努力をして、ひくときは潔くひくぐらいがきれいかな。ただし、これは一般論なので、行政とか(ウワサの市長さんとか)、「この人をゼッタイ説得したい!」というときにはどうしたらいいんでしょうか。。。


ふぅ、ちょっと考えても特に進展した気がしないな...。



ちなみに、前述の彼は、自分が本当におもしろいと思っていることをオススメしてくれている様子なので、私もちょっと教養を身につけたいな、と思い始めた今日この頃です。

ということで、みなさんぜひ私を教育して下さい(笑)

2007年11月11日日曜日

しあわせとは両想い感だ!

「ところで、いま幸せな人〜!」
ミーティングで院生の現状について話していたとき、咄嗟にそう聞かれて、手を挙げたのは大木さんと私だったような気がする。でも、よくよく話していて一番幸せそうなのは、横山さんと岩崎さんと松尾さんだと思う。横山さんと岩崎さんは、「この仕事は自分がやるしかない!」という義務感(←使命感じゃないかなー)に駆られて、忙しくお仕事している様子。まぁ、松尾さんは言うまでもないけど...。私は、片想いかなぁ。研究に自由度は高いけど、その研究自体にどれくらい意味があるのか正直分からないから、使命感があんましない。とよたけくんは、ミッションの中できっと重要な仕事を任されていて、でも自由度が低そうに見えるので、想われてる側だと思う。

ということで、しあわせとは両想い感だ、というのが今回の結論でした。。。
いつの日かの両想いを目指して、がんばろうっと。

2007年11月6日火曜日

アキバ系への道は険しい。。。

今日は、展示の材料を探しに、ひとりで秋葉原に行って来ました。初アキバです。
三宅さんに教えてもらったお店にたどり着き、「LEDのライトを水中で光らせたいんですけど、そのために必要なものを一式下さい!」と言ってみた。「はぁ、漠然としすぎてわかんないんですけどー。」それがわからないから聞いてるんでしょ!!三宅さんにヘルプコールを繰り返し、お店の人とこんにゃく問答を繰り返し...。

結論。
アキバはアメリカより言葉が通じない。名詞が分からない、動詞が分からない、そのうえ内容が分からない。
バカの壁は言語の壁よりも厚いということを実感しました。

果たして展示は完成するのか!?乞うご期待。