2007年12月29日土曜日

としわすれ

 昨夜は0to1忘年会でした!楽しく喋って食べて飲んで、飲み過ぎて、帰りの電車で寝過ごして。。。まぁ、楽しいのはいいんですけれど。私の指導教員の定義によれば、「忘年会とは、今年一年の忘れたいことは忘れて、楽しかったことは忘れないで、忘れたいけれど必要なことは覚えておく会」らしいです。この趣旨を踏まえて、忘年会に関して「必要なこと」、つまり反省をしてみたいと思います。

 今回は、ミーティングへの登場回数が少ないメンバーや新規メンバーに広く参加を呼びかけた会でしたので、お互いによく知らない人同士が交流することを目的の一部としていました。それはもちろん果たされたとは思いますけれど、元々知り合いだった人・分野の近い人同士に会話の輪が留まっていた向きもありました。もっと活発に交流できたら良かったなぁ〜と、自戒を込めて思っています。

 「異分野の院生同士が交流する」ということは結構難しいことだと、常日頃から私自身は思っています。よほどの積極性と対人能力がある人はいざ知らず、普通の人は、単に一堂に会しただけではなかなか交流できません。交流のためには、共通の目的意識に基づいた共同作業(BBQとかアゴラの議論とか展示制作とか)が有効なのでは、と思うのです。そうした活動を通して、メンバーの人間性やら価値観やら指向やら能力やらが垣間見え、いつの間にやら人間的なつながりができます。

 もっと言うと、異分野の勉強会も、この人間的なつながりがあればこそなのでは、と私なんぞは思ってしまいます。ここで、忘年会名幹事ぶりに敬意を表して、松尾さんの例を挙げさせて頂きましょう。たとえば生物の院生である私が、数学の院生の研究の話をわざわざ聞きに行くだけのモチベーションは、普通だったらありません。でも、我らが幹事の「松尾さんの」話であれば、聞きたいです。そこでは、「この人のことをもっと知りたい」というモチベーションが結構大きいかな、と私は思うのです。学術的好奇心旺盛なみなさんは違うのかもしれません。


 一回の飲み会の反省をしているハズが、より長期的な話にすり替わっていますけれど、まぁ一夜の懇親会であってもBBQのときのように作業の過程が入ればもっと活発に交流できるかな、ということが言いたいだけです。

 なにはさておき、一番の反省点は、佐々木代表がいなかったこと!代表不在では、なにもはじまりませんよ〜。みなさん、飲み会前は体調管理を特に気をつけて下さいね。

 2007年最後まで、とっても私見に偏ったブログですみません。笑って許して下さい。
 2008年も、楽しくて充実した活動ができますように。

 どうぞ良いお年をお迎え下さい!

2007年12月11日火曜日

先生と呼ばれた日。

先週、小学校で出張授業をしてきました。全6回のシリーズをリレー形式で行っていて、私はその第2回を担当させて頂きました。内容は、生命と地球についての夢とロマン溢れる壮大なストーリーです(笑)。0to1企画ではないのですが、0to1を通して紹介して頂いたので、この場を借りて簡単にご報告まで(しばらくブログを書かないと忘れられちゃうのではとの危惧もアリ...)。

「出張授業は自己満足で終わってはダメだ、受け入れ先の学校の先生とよく相談しないと」とは、このまえアゴラで知り合った方に頂いたアドバイス。これは、実にその通りだと思います。出張授業とは、教師でもない一介の学生が、わざわざ縁もゆかりもない学校に出向いて授業をするという企画です。わざわざやるからには、それを通して「やりたいこと」があります。もちろん受け入れ側にも、基本的な教育理念や、受け入れ理由があります。それが完全に一致する訳ではない、というのが現実でしょう(むしろ完全一致ならわざわざ外の人を招く必要がないような気がしてきたぞ)。その中で実りある活動を行うためには、両者の折り合いをつけるという作業が必要です。そして、もっと根本的な部分では、理想(伝えたい内容・メッセージ)と現実(時間的制約、生徒の能力・意欲)の折り合いをつけることが不可欠です。

さて、私の場合どうだったかと言いますと、折り合いをつけるための調整は、本当にギリギリまで終わりませんでした。前夜は、授業構成を考えるあまり熟睡できず(小心者なんです。。。)、朝早く起きて展開を考えました。その甲斐あって、自分も満足でき、校長先生にもまぁ褒めて頂き、生徒も見る限り楽しそうに積極的に授業に参加してもらえたように思います。

「折り合い」さえつけられれば、「妥協」は必要ありません。今回の出張授業を一緒に企画・運営した方に、「もさんのカラーが出ていてとても楽しかったです。(授業進行の)テンポ(の良さ)と妥協のなさがすごい!」と評して頂きましたが、それは「折り合い」がうまくつけられたということでしょう。

妥協するのが大人なら、私は大人になんてなりたくない。でも、折り合いをつける作業を通して、私はちょっと大人に近づいた気がしました。